再び東北へ

1980年8月、真夏の太陽が照り付ける中、岩手県三陸海岸を自転車で旅する一人の若者がいた。
仙台を出発した後、陸前高田、宮古、盛岡、十和田とユースホステルに宿泊しながら東北地方を縦断、八甲田山を越え、青森からフェリーで北海道へと渡っていった。
当時は珍しくなかった貧乏学生の自転車一人旅・・・・若かりし頃の私の姿である。
先日、その思い出の地である岩手県の陸前高田をボランティアの一員として訪れた。
5月に石巻まで行った後、一度岩手にも行ってみたいと思っていたところ、一緒に行かないかとのお誘いがあり、今回の参加となった。
震災後、関東から東北地方に向けてボランティアバスツアーがいくつも企画されている。
私が参加したのは、金曜夜にバスで出発、車中泊で岩手や宮城方面に行き、土曜に作業した後、再び車中泊で日曜早朝帰還という「0泊3日」ツアーだ。作業が終わった後は、温泉に寄ったりお土産の買物時間もある至れり尽くせり、それでいて参加費用は全部込みで4千円という格安ツアーだった。
(ちなみに新幹線で岩手まで往復するだけでも2万円はかかる)
毎回このようにバス1台分約40名程度でチームとなりボランティアを行っていて、今回参加したツアーで23回目となるとのこと。震災後、ほぼ毎週のように出ていることになる。
夜明けとともに岩手県に到着して陸前高田に入り一番最初に飛び込んできたのが、海岸に立つ1本松
だった。陸前高田の海岸はかつて松原の名所だったそうだが、今回の津波で全て倒されてしまった。
たった1本だけが残り、震災後陸前高田のシンボルになった松だ。
ちなみに30年前に私が泊まったユースは、この松原のすぐ近くにあったのだが、現在は閉鎖されて
いるらしい。思い出の地の変わり果てた姿に心がざわめく。
次に陸前高田の市街地「だった」ところに着く。
今は、建物の基礎だけが残された荒涼とした空き地が延々と続いている・・・。
瓦礫は既に撤去されたのだろう、建物らしきもの、人間が住んでいた痕跡は殆ど残っていない。
根こそぎ津波が持っていってしまったのだ。今回参加者した人の半分くらいが初参加だったそうだが、初めて見る衝撃的な光景にバスの中に重苦しい沈黙が流れる。
その後、ボランティアセンターに行き、今日の作業に関する説明があった。
行き先は広田半島という所。半島の根元にあたる所に両側から津波が押し寄せ、震災後孤立してしまった地区だそうだ。電気やガス・水道などのインフラが途絶えた中で住民は食料を集め、1ヶ月は自活していく覚悟を決めていた。幸い、2週間程度で支援物資は届き始めたものの、電気やガスが復旧するまで住民は不自由な生活の中で耐え忍んできたそうだ。
次に作業上の注意事項。釘の踏み抜き等、怪我しないように注意を払うこと。個人名の判別できる書類、通帳類アルバム等の思い出の品は回収すること。
そして・・・、今でも時々人骨が出てくるそうである。
見つけたら直ちに連絡すること。ここで多くの命が奪われた場所なんだとあらためて実感する。
我々の今日の仕事は田畑(だったと思われる場所)の中に残された瓦礫を、重機が入れる道路際まで運ぶこと。市街地の瓦礫は大部分が片付いているが、こういった田畑や山林にはまだまだ瓦礫が手を付けられないまま残されているそうだ。どうやら水田だった場所らしく足元はぬかるんでいるため、泥だらけになりながら、重たい瓦礫を運ぶ。
現場は海岸まで1キロほどの、かすかに紺碧の海が見える場所。海岸線沿いには巨大な防波堤が建造されていたが、無残に破壊された跡が残り、津波のすさまじい破壊力を物語っている。
最初は少し肌寒かったものの天気は快晴、日中には汗ばむ陽気となる。おまけに防塵マスクを着けて
のハードな作業で息が上がりそうになりながら、何とか一日の作業を終了。現地に到着した時には田畑に点在していた瓦礫の山が、夕刻には道路際まで移動できていた。40人もいると結構な作業ができるものだと感じる。
以下、この日の作業を終えて感じたことをいくつか記す。
まず、ボランティアというと時間に余裕のある元気な学生とかがやることと勝手に決め込んでいたが、案外気軽に参加できるものだということ。
ボランティアの基本は「困った時はお互い様」の精神だと思う。隣り近所で困っている人がいたら、ちょっと手を貸す、特別なことと思わず日常生活の延長線でちょっと行って来るね、くらいの気楽な気分で参加するのがよいと思う。できることをできるだけやる。
今回の参加者の中にもリピーターが結構いたし、40人中女性も10数名が参加していた。こういう意識は女性の方が強いのかとも思った。
また、どうせやるなら楽しくワイワイやるのがいいと思うこと。
ボランティアに行って温泉に入ったり、お土産を買ったりというと不謹慎に思われるかもしれないが、現地での買物は被災地にとっても経済効果があることだし、楽しさもあって気軽に行けるからこそ何度でも行こうという気になれるのである。現地で採れたリンゴや帰りに寄った気仙沼で食べた秋刀魚の棒寿司は美味だった。
とは言うものの、被災地での作業は十分注意が必要だということ。
瓦礫の撤去等の危険を伴うので、最低限の装備は必要である。今回も、長靴の中敷(ステンレスが挿入されたもの)を準備していった。釘などを踏み抜いて足が怪我するのを防ぐためである。安全には十分注意しなければいけないし、体調管理も含め自己責任が原則である。
また、これも当然かもしれないが、被災地の人たちと触れ合う機会もあるので、メンタル面での配慮も必要だ。ただ、東北人の気質かもしれないが、たいていの人が「こんな遠い所までわざわざ来て下さって・・・」と実に温かく迎え入れてくれる。被災地に行った人の感想によくある「励ましに行ったつもりが元気をもらって帰ってきた」というのは、実感として本当のことだと思った。
そして最後に、ボランティアを通じて働くことの「原点」を考えさせられたこと。
思えば、30年近くサラリーマンをやってきて、自分はこれまで文字通り「サラリーを得る」ためだけにしか働いてこなかったのではないかと痛感した。サラリーを求めず働いてみることで、働くことの本当の目的とは何かを考えてしまった。
答えは人それぞれだと思うが、私は何らかの「喜び」を感じることだと思う。
喜びの感じ方も多種様々だ。働くことで誰かの役に立ち喜んでもらいたいと思うことだったり、多くの人と力を合わせて一人ではできないことを成し遂げることだったり、同じ志を持った人と出会えることだったり、そうやって障害を乗り越えていくことだったり・・・。
その過程で手ごたえを感じ、喜びを感じることが働くことの本当の目的ではないか。
実に素朴な感想だが、ボランティアに行って額に汗してみたら、それが実感できるのだ。
ただの自己満足かもしれない。でもそれでも何もしないよりもいいと思う。
行動することで、何かを感じ、何かが生まれ、何かが変わる。
そう感じている人たちが何度も彼の地を訪れている。
私が参加したバス「レーベン号」の車体には無数の手書きの「メッセージ」が書き込まれていた。
出向いて行った先で書き込まれた感謝の言葉なのだ。
「手を貸すぜ、東北」とペイントされた車体はとても頼もしく、誇らしげで洒落ている。
思えば30年前、学生だった私は誰かとの出会いを期待して、一人旅をしていたのだと思う。
30年経って、私は再びその地でかけがえのない出会いを経験した。
同じくレーベンのボランティアバスに参加したものです。わたくも同年代? 若き頃東北を旅して、再びボランティアとして訪れました。働く事の意味、共感しています。そして間もなく迎えるリタイア後の生き方について考え始めています。またご一緒に汗を流しましょう。
ジローさん、コメントありがとうございます。レーベン号いいですね。こんな形で色んな思いを抱く人に出会い、汗を流し、共感しあえる素敵な場だと思います。是非また東北でご一緒したいです。寒さが堪える季節になってきましたので、お互い自分の身体もいたわりながら、無理せず続けていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

